19 才の時には世界チャンピオンの PC ゲーマーになるとは思ってもみませんでした。実
際、13 才のときには、プロのトーナメントでビリヤード競技に参加して、自分よりも高いレ
ベルのプレーヤーを相手に、4 〜 5 試合で勝った経験があります。ビリヤードでキャリア
を積むことをまじめに考えたこともあります。しかし、若い頃には状況が目覚しく変化しま
す。私の手と目の協調性は大変優れています。そして、数学の理解力もあります(これは、
ビデオゲームでは重要な要素になります)。これらの素質から、私はこの分野に進むべく
して進んだのです。
プロへの道
ダラスで開催された CPL(サイバーアスリート・プロフェッショナル・リーグ)トーナメント
に参加した 1999 年以来、プロゲーマーとして活動しています。ダラスでは 3 位に入賞して
$4,000 の賞金を受け取りました。米国におけるトッププレーヤーの 1 人として認知されま
した。私に関心を持った企業の後援を受けて、私はスウェーデンで世界トップの 12 人の
プレーヤーと対戦しました。そして、負けなしで 18 ゲームで勝利を収めて優勝しました。
こうして、世界ナンバーワンの Quake III プレーヤーになりました。2 ヵ月後、私はダラスで
世界最高の Quake III プレーヤーとしてのタイトルを防衛して、$40,000 の賞金を獲得し
ました。それ以来、ロサンゼルス、ニューヨーク、セントルイスを始め、シンガポール、韓国、
ドイツ、オーストラリア、オランダ、ブラジルなど、世界各地のコンペティションに参加して
います。
連勝
CPL(サイバーアスリートプロフェッショナルリーグ) Winter 2001 で CPL 年度チャンピオ
ンの座を守り抜きました。自分の持てるゲーミングスキルを遺憾なく発揮できて大変満
足しています。その後、まったく異なるファースト・パーソン・シューター(fps)ゲ ー ム、Alien
vs. Predator II(エイリアン vs プレデター II)で試合することになったからです。そのコン
ペティションで勝利を収めて自動車を賞品として受け取りました。翌年には、アンリアル・
トーナメント 2003(Unreal Tournament 2003)で競技して、同じタイトルを獲得し、その年、
CPL チャンピオンタイトルを 3 回獲得した唯一のプレーヤーになりました。毎年、異なる
ゲームの競技に参加してタイトルを獲得してきました。これは、それまで誰も成し得なか
ったことです。私は自分の成績を大変誇りに思っています。
QuakeCon 2002 では、ライバルの ZeRo4 と対戦しました。この対戦はその年の最も注
目された試合の 1 つでした。この対戦で 14 対 (-1) で大勝しました。クエイクコン 2004
(Quakecon 2004)のコンペティションでは、数々の難しい試合の後に Daler を 破り、ワ ー
ルドナンバーワンの Doom3 チャンピオンとなり、賞金 $25,000 を獲得しました。
それ以来、Fatal1ty は、世界中を旅し、世界最高のプレーヤーと対戦して、ニューヨークで
開催された 2005 CPL ワールド・ツアー・チャンピオンシップで優勝賞金 $150,000 を受け
取るなど、数々の賞金とタイトルを獲得しています。2007 年 8 月には、「比類ないスポーツ
マンシップを表し、e スポーツを今日まで発展させ、この新しいスポーツを代表するプレ
ーヤーとして、e スポーツを世界各地に普及させることに貢献したこと」が評価されて、ジ
ョナ サ ン( Johnathan)は 、e スポーツ・アワード(eSports-Award)の 4 年間の歴史で初の功
労賞(Lifetime Achievement Award)を受賞しました。
Fatal1ty ストーリー